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<令和2年度 第7回 図書館リレーインタヴュー 社会福祉学科 准教授 阿部俊彦先生へのインタヴュー>

※本記事に掲載している書影は出版元の使用許諾のもと使用しています。

こんにちは。図書館です。
本日は、図書館リレーインタヴュー第7弾をお届けします。

今回は私、社会福祉学科 准教授 阿部俊彦が学生の皆さんにお勧めの本を紹介したいと思います。

いきなりですが、「日常的」の対義語は何でしょうか?

上記のことを、講義の中で学生に問うことがあります。対義語とは、意味が正反対の関係にある語のことです。
つまり、一方を否定すれば必ず他方になる関係の語を指します(対義語という言葉が分かりづらければ、反対語と言った方が理解しやすいかもしれません)。
対義語の説明をするまでもなく、「日常的」の対義語を、「あ、簡単!」とすぐ答える学生は多いと思います。
「日常的」の対義語は、「非日常的」です。「非」は「~に非(あら)ず」と訓読みし、語のはじめにつけると、「そうではない」という意味になります。
「非日常的」は、「日常的」に「非ず」=「日常的」ではない、ということになります。
「非」を用いることで、対義語は容易になります。

では、「健常者」の対義語は何でしょうか?この問いに対して皆さんは、「障害者」と答えたと思います。
デジタル大辞泉」でも、「障害者」を「健常者」の対義語としています。
「日常的」の対義語は「非日常的」でした。しかし、「健常者」の場合、「非」を用いて、「非健常者」を対義語としていません。
なぜ、「非」を用いず、新たな語、つまり、「障害者」という語を用いることになったのでしょうか?
言葉は、私たちが生活をする中で、新たに生まれることや、その用い方に変化が生じることがあります。
「健常者」の対義語が、「非健常者」ではなく、なぜ「障害者」となったのか。
この問いに答えるためには、「障害者」という言葉が生まれた背景、つまり、語の生まれた時代や、人と人が織りなす、その関係性に着目する必要があるように思います。「障害者」という言葉が、なぜ生まれたのかを見つめることは、私たちの生きる社会の在り方を問い直す糸口になると考えます(もしかすると、障害者差別やスティグマ(=特定の事象や属性を持った個人や集団に対する、間違った認識や根拠のない認識のこと)を考える際に、有意義になるかもしれません)。

では、もう少し、私たちが日常的に目にする言葉を確認していきましょう。
以下のフレーズは、病を得た人が退院する、あるいは施設から退所する際に、用いられることが多いように思います。

「社会復帰するために治療やリハビリを頑張る!」

勘の良い学生は、ハッと気づいたかもしれません。病を得た人の入院する病院や、リハビリなどをする障害者施設は、社会を構成する大切な組織の一部です。
つまり、私たちが住まう社会の一部として、それらは存在しているのです。
そうすると、「社会復帰」という言葉は、何を指すのでしょうか?
復帰すべき社会とは、私たちが住まう社会と異なるところにあるのでしょうか?
我々が「あたりまえ」に用いる言葉に注目することで、「今・ここ」の社会の在り方が、明らかになってくるかもしれません。
日常の「あたりまえ」を疑うこと、考えることは、人間の視野を広げます。

そこで私は以下の本をお勧めします。

「あたりまえ」を疑う社会学.jpg

好井裕明著 『「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス』 光文社新書 2006年

この本は、新書版です。読みやすい本ですので、手に取ってページをめくってみて下さい。

                                          (社会福祉学科 准教授 阿部俊彦)