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想像する力とコミュニケーション

2013年8月30日

 

伊吹山にて.2013年8月3日
(伊吹山にて.2013年8月3日)

夏休みになると、レジャーで出かける先が海か山かということが話題になったりするが、私自身のことで言えば、子供が小さいときには白浜や伊勢志摩へと泊まりがけ、あるいは日帰りで琵琶湖にとくり出したもので、この点では海派であったが、子供が大きくなってくると家族そろってどこかへということはなくなり、次第に夫婦だけで山のほうへくり出すことになっていった。もう今では山一辺倒になっている。

山歩き(あえて登山と言わないことに注意!)は趣味の一つということになっていて、年間50回を目標に京都・滋賀の山を中心に夫婦で歩いている。山歩きにはいろいろルール、マナーがあるけれども、たとえば、出会った人には「こんにちは」と声かけをし、いろいろ情報を交換するという習慣がある。こちらが登っている時に上から下山してくる人に出会ったときには、山の上の方の天気や道の具合などを聞くし、こちらが登ってきたルートで注意すべき点があれば下山している人に説明するということを行う。この出合いは山を歩いている人たちのコミュニケーションの場であり、お互い情報を聞き出すときにはそれぞれの行程、ルートを想像しながら語りかけを行っているわけである。つまり、コミュニケーションを成立させるには想像する力が不可欠なのだ。

もう一つ例を挙げてみよう。趣味とは言えないけれども、私は車が好きで前任校には20年間車通勤をしていていたほどなのだが、車の運転でも上に述べたのと同じ行動をとっている。あまり意識はしないかもしれないが、道路上の自動車と自動車、あるいは自動車と歩行者は声にこそ出さないがコミュニケーションを行っているのである。たとえば、方向指示器。道路上で交差点にさしかかってきたとき右折か左折をする場合は方向指示器で合図することになっている。車を運転しているときに前を行く車の動きは絶えず注意していなければならないが、最近、方向指示器を出さないで右折あるいは左折するドライヴァーが増えていて、私は腹が立つことが多い。本来、右左折30m前に方向指示器を出さないといけないのだが、あとに続く車のことなど全くお構いなしに突然右折したり左折したりする車があって、私は車の中で人に聞かれたら困るような言葉を思わず叫んでしまっている。方向指示器は道路上の他の車両や歩行者に対して自分の行き先の意志を言葉に代わって伝達する役割をもっているわけで、それができないということは、たとえば後続の車なぞ眼中になく(想像する力の欠如)、道路上を自分の車だけが走っていると考える(コミュニケーション能力の欠如)ということである。

このようにコミュニケーションを円滑に進めるには想像する力が必要であり、わたしたちは日常生活の中で無意識に想像の力を働かせてコミュニケーションを行っているわけである。さまざまな凶悪な事件やいじめ等が新聞の社会面を賑わし、暗澹たる気持ちになることが多いが、根本的には「想像する力」が弱くなってきていることがこのような事件と関わりがあるように思われてならない。