2013年10月 2日
9月21日からいよいよ一連の学部の入学試験が始まりました。
AO入試では、受験者の高校の内申書と自己アピール文と面接試験を総合して合否が決まります。面接は面接する者が問いかけを行い、受験者がそれに答えるということになっており、そのやりとりの中で受験生のやる気や人柄が試験されるわけです。面接試験には問いに対する正解というようなものはありません。
本学の先生方は「対人援助の専門職業人」を養成する教育を行っておられるだけあって、先生方の面接の報告を聞いていましたら、実に的確に受験者の人物を見ておられ、さすがだと感嘆しました。
この面接試験における問いと答えということを考えていたら、前期の私の授業でおもしろい問題提起があったことを思い出しました。私は「人間科学」という授業を担当しているのですが、この授業では「ギリシア神話と人間」ということをテーマにして、伝承された叙事詩とそれを映画化したものとを比較しながら授業を進めました。たとえば、ホメーロスなどの叙事詩と映画『トロイ』との比較というようなことです。
さまざまな相違点がありますが、映画ではトロイア落城の前にメネラーオスやアガメムノーンが殺されてしまうことになっていて、これはもとのギリシアの叙事詩とは大きく相違しています。
これに対して受講生が「先生、どちらが正しいんですか」と質問してきました。この質問にどう答えるか、ちょっとためらったんですが、「ホメーロスの作品もフィクションだし、映画もフィクションだし、どちらが正しいということは言えない」とその場では答えておきました。もしこれが歴史的事実を映画化したものであれば、歴史的事実のほうを「正しい」と言うことになるでしょう。
つまりこの質問には正解というものはなく、どちらが正しくてどちらが間違いかということを答えられない質問ということになります。
最近、人はややもすればクイズやゲームのようにすぐに答えを出したがる傾向にあるのではないでしょうか。じっくり考えてみることの大切さが忘れかけられているような気がします。
2013年8月30日
(伊吹山にて.2013年8月3日)
夏休みになると、レジャーで出かける先が海か山かということが話題になったりするが、私自身のことで言えば、子供が小さいときには白浜や伊勢志摩へと泊まりがけ、あるいは日帰りで琵琶湖にとくり出したもので、この点では海派であったが、子供が大きくなってくると家族そろってどこかへということはなくなり、次第に夫婦だけで山のほうへくり出すことになっていった。もう今では山一辺倒になっている。
山歩き(あえて登山と言わないことに注意!)は趣味の一つということになっていて、年間50回を目標に京都・滋賀の山を中心に夫婦で歩いている。山歩きにはいろいろルール、マナーがあるけれども、たとえば、出会った人には「こんにちは」と声かけをし、いろいろ情報を交換するという習慣がある。こちらが登っている時に上から下山してくる人に出会ったときには、山の上の方の天気や道の具合などを聞くし、こちらが登ってきたルートで注意すべき点があれば下山している人に説明するということを行う。この出合いは山を歩いている人たちのコミュニケーションの場であり、お互い情報を聞き出すときにはそれぞれの行程、ルートを想像しながら語りかけを行っているわけである。つまり、コミュニケーションを成立させるには想像する力が不可欠なのだ。
もう一つ例を挙げてみよう。趣味とは言えないけれども、私は車が好きで前任校には20年間車通勤をしていていたほどなのだが、車の運転でも上に述べたのと同じ行動をとっている。あまり意識はしないかもしれないが、道路上の自動車と自動車、あるいは自動車と歩行者は声にこそ出さないがコミュニケーションを行っているのである。たとえば、方向指示器。道路上で交差点にさしかかってきたとき右折か左折をする場合は方向指示器で合図することになっている。車を運転しているときに前を行く車の動きは絶えず注意していなければならないが、最近、方向指示器を出さないで右折あるいは左折するドライヴァーが増えていて、私は腹が立つことが多い。本来、右左折30m前に方向指示器を出さないといけないのだが、あとに続く車のことなど全くお構いなしに突然右折したり左折したりする車があって、私は車の中で人に聞かれたら困るような言葉を思わず叫んでしまっている。方向指示器は道路上の他の車両や歩行者に対して自分の行き先の意志を言葉に代わって伝達する役割をもっているわけで、それができないということは、たとえば後続の車なぞ眼中になく(想像する力の欠如)、道路上を自分の車だけが走っていると考える(コミュニケーション能力の欠如)ということである。
このようにコミュニケーションを円滑に進めるには想像する力が必要であり、わたしたちは日常生活の中で無意識に想像の力を働かせてコミュニケーションを行っているわけである。さまざまな凶悪な事件やいじめ等が新聞の社会面を賑わし、暗澹たる気持ちになることが多いが、根本的には「想像する力」が弱くなってきていることがこのような事件と関わりがあるように思われてならない。
2013年6月13日
4月1日付で学長に就任しました木村です。これから「学長ブログ」として折にふれての雑感を書き込みますので、よろしくご愛読のほどを。
学長になって2ヶ月が過ぎました。あっという間の2ヶ月です。ざっと振り返ってみましょう。
4月1日の辞令交付式に始まり、2日の入学宣誓式、5日から6日にかけては新入生の学外宿泊オリエンテーションで合歓の里に、9日には薫英学園の中高入学式、10日にはやはり薫英学園のかおり幼稚園入園式と続きました。教授会や各種委員会もあり、さらに授業「人間科学I」も担当しており、時間の配分に苦慮しています。研究ではここ数年「羅和辞典」の執筆・編集に参画しており、こちらも注意深い作業が必要で時間がとられています。
5月には新入生FAチーム対抗のバレーボール大会が23日に開かれました。新入生がお互い力を合わせて一つのことにうちこむというこの活動は、これからの4年間の学生生活で貴重な経験になることと思いますし、本学のいい伝統だなあと感じ入りました。さらに26日にはオープンキャンパスがあり、大阪人間科学大学がどういう大学であるかを広く知ってもらうためのよい機会となりました。
第1回の「学長ブログ」はどうやら行事報告のような形になってしまいました。次回は「雑感」の部分を増やしたいと思っています。なお、私の趣味とか個人的なことに興味のある方は「木村健治研究室」で検索してみてください。 私のサイトにヒットすると思います。